綺麗な生活
美し《うつくし》さの舞台裏《ぶたいうら》と心《こころ》の裏側《うらがわ》
林《はやし》真理子《まりこ》さんは、ご自身《ごじしん》も美《び》への探求《たんきゅう》に、大変《たいへん》積極的《せっきょくてき》な方《ほう》であり、エッセー《えっせー》にも頻繁《ひんぱん》にそのお話《おはなし》が登場《とうじょう》します。それは、美顔《びがん》マッサージ《まっさーじ》なるものから、整形《せいけい》をされた方《ほう》のお話《おはなし》にいたるまで、林《はやし》さん自身《じしん》、そういった分野《ぶんや》には非常に《ひじょうに》詳しく《くわしく》ておられる。
しかし、“美《び》への探求《たんきゅう》”に特別《とくべつ》に焦点《しょうてん》をしぼったテーマ《てーま》で長編小説《ちょうへんしょうせつ》にされたのは初めて《はじめて》ではないでしょうか。
この分野《ぶんや》に極めて《きわめて》詳しい《くわしい》彼女《かのじょ》だからこそ描け《えがけ》る詳細《しょうさい》な描写《びょうしゃ》が、その筆力《ひつりょく》によって、加速的《かそくてき》に読みすすめる《よみすすめる》ことができる(そうですね、ちょっともったいないでしょうか)。
この小説《しょうせつ》は美し《うつくし》さの中でも《なかでも》、人工的《じんこうてき》なもの、天然《てんねん》のものに分け《わけ》られて語ら《かたら》れています。美し《うつくし》さへの憧れ《あこがれ》と探求《たんきゅう》は、それを望む《のぞむ》故《ゆえ》の葛藤《かっとう》や、焦り《あせり》は、それを後天的《こうてんてき》に強引《ごういん》に得よ《えよ》うとするからなのでしょうか。
しかし、この小説《しょうせつ》では、あえて先天的《せんてんてき》に美しい《うつくしい》青年《せいねん》がそれを痛ましく《いたましく》失っ《うしなっ》たときに、その心《こころ》までもが歪ん《ゆがん》でしまい、周囲《しゅうい》からの感情《かんじょう》、思い《おもい》も決定的《けっていてき》に覆し《くつがえし》てしまう事《こと》が、語ら《かたら》れます。
ここでふっと考える《かんがえる》のです。例えば《たとえば》地位《ちい》や名誉《めいよ》を突然《とつぜん》失っ《うしなっ》た人《ひと》は同じ《おなじ》絶望《ぜつぼう》を味わい《あじわい》、周囲《しゅうい》からも同じ《おなじ》ような反応《はんのう》を得る《える》のではないか。人《ひと》の自信《じしん》や安心感《あんしんかん》を支え《ささえ》ているのは様々《さまざま》でしょう。しかし、外見《がいけん》という実際《じっさい》には、根本的《こんぽんてき》といえるものではないものからそれを得《え》ている人《ひと》もいる。
そうやって、根本的《こんぽんてき》な人《ひと》の心《こころ》の裏側《うらがわ》をかいま見せる《かいまみせる》ので、リアル《りある》で、残酷《ざんこく》で、とても悲しい《かなしい》。
林《はやし》真理子《まりこ》が余り《あまり》に淡々《たんたん》と描く《えがく》し、内的《ないてき》自身《じしん》への問いかけ《といかけ》と言っ《いっ》たテーマ《てーま》を決して《けっして》表《ひょう》に出さ《ださ》ないので、ともすれば軽い《かるい》小説《しょうせつ》のようでありますが、自己《じこ》不安《ふあん》との葛藤《かっとう》というテーマ《てーま》が多く《おおく》の人《ひと》が知ら《しら》ないうちに考え《かんがえ》させられてしまうところが、彼女《かのじょ》の卓越《たくえつ》した演出力《えんしゅつりょく》であると思い《おもい》ます。

