村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)
ニュートラル《にゅーとらる》な視点《してん》
安西《あんざい》水丸《みずまる》さんの力一杯《ちからいっぱい》脱力《だつりょく》しているイラスト《いらすと》と
すごくニュートラル《にゅーとらる》な視点《してん》で書か《かか》れた村上《むらかみ》春樹《はるき》さんのエッセイ《えっせい》。
読ん《よん》ではんなりする心地《ここち》です。
そもそも村上《むらかみ》さんは連載《れんさい》として書か《かか》れたエッセイ《えっせい》を
締め切り《しめきり》に捕われ《とらわれ》ずに書い《かい》たといわれる。
日常《にちじょう》のあれこれを起点《きてん》に趣味《しゅみ》とか遊び《あそび》に近い《ちかい》感覚《かんかく》で綴っ《つづっ》ているので
くだらないといえばくだらないけれど
彼《かれ》の人柄《ひとがら》が惜しみなく《おしみなく》醸し出さ《かもしださ》れるカタチ《かたち》となった。
今《いま》でいうブログ《ぶろぐ》日記《にっき》に近い《ちかい》感覚《かんかく》だろうか?
やはりというかさすがというか
物書き《ものかき》として筋《すじ》を通し《とおし》ている
そんなことを強く《つよく》思っ《おもっ》た。
抽象的《ちゅうしょうてき》ですね。
つまりすごく面白い《おもしろい》読みもの《よみもの》ということです。
人気《にんき》作家《さっか》の平凡《へいぼん》な日常《にちじょう》と非凡《ひぼん》な観察《かんさつ》
村上《むらかみ》さんの小説《しょうせつ》はちょっと・・・という人《ひと》でもこの本《ほん》はお勧め《おすすめ》。人気《にんき》作家《さっか》でありながら肩肘《かたひじ》をはらずにマイペース《まいぺーす》で生き《いき》ながら、真摯《しんし》な態度《たいど》で創作《そうさく》に向き合い《むきあい》(文学《ぶんがく》集《しゅう》や翻訳《ほんやく》の項《こう》)自分《じぶん》の趣味《しゅみ》を大切《たいせつ》にし(マラソン《まらそん》)日常《にちじょう》の矛盾《むじゅん》(ロンドン《ろんどん》で受け《うけ》だ仕打ち《しうち》や物価《ぶっか》のこと、日本語《にほんご》の事《こと》など)に提言《ていげん》を投げかけ《なげかけ》、含蓄《がんちく》があるのに説教《せっきょう》くさくない。
村上《むらかみ》春樹《はるき》という作家《さっか》の人間性《にんげんせい》を垣間見る《かいまみる》ことのできる一冊《いっさつ》である。なくなったマラソン《まらそん》選手《せんしゅ》への哀悼《あいとう》いは彼《かれ》の誠実さ《せいじつさ》も感じ《かんじ》られるし、温厚《おんこう》な彼《かれ》が思わ《おもわ》ぬ事《こと》にこだわって怒り《いかり》をおぼえたり、意外《いがい》な趣味《しゅみ》や興味《きょうみ》に驚かさ《おどろかさ》れる。後書き《あとがき》にある後日談《ごじつだん》もたのしい。
基本的《きほんてき》の村上《むらかみ》春樹《はるき》はどんな状況《じょうきょう》でも自分《じぶん》を確固《かっこ》と持ち続ける《もちつづける》事《こと》のできる人《ひと》なんだと感じ《かんじ》たし、だからこそ一流《いちりゅう》の作家《さっか》として自分《じぶん》の作風《さくふう》を持ち続け《もちつづけ》られるのであろう。
村上《むらかみ》春樹《はるき》を好き《すき》な人《ひと》もそうでない人《ひと》にもおすすめ。
実は《じつは》私《わたし》が一番《いちばん》心ひかれ《こころひかれ》たのは、愛猫《あいびょう》故《こ》ミューズ《みゅーず》のこと。
ミューズ《みゅーず》のエピソード《えぴそーど》もっと書い《かい》てほしいな・・・
尻尾《しっぽ》まで餡《あん》が詰まっ《つまっ》ています
59本《ほん》+おまけ2本《ほん》のエッセイ《えっせい》(安西《あんざい》水丸《みずまる》氏《し》の絵《え》付き《つき》)に
「あとがき」と「付録《ふろく》」が付い《つい》た、村上《むらかみ》春樹《はるき》氏《し》の文庫《ぶんこ》本《ぼん》。
目次《もくじ》を眺め《ながめ》ているだけで楽しい《たのしい》。
というより、タイトル《たいとる》の付け方《つけかた》がうまいということかな。
寝ころがっ《ねころがっ》て気楽《きらく》に読める《よめる》。
そんな中《なか》にふとリアル《りある》でシリアス《しりあす》なことばを見つけ《みつけ》て、
起き上がっ《おきあがっ》て姿勢《しせい》を正し《ただし》て真剣《しんけん》に読ん《よん》でいる自分《じぶん》に気づい《きづい》たりする。
近づき《ちかづき》やすくて、中身《なかみ》がある、よく出来《でき》た鯛焼き《たいやき》みたいな本《ほん》でした。
エッセイスト《えっせいすと》としての村上《むらかみ》春樹《はるき》
村上《むらかみ》春樹《はるき》という作家《さっか》は現存《げんそん》する作家《さっか》の中《なか》では極めて《きわめて》稀《まれ》なほど創作《そうさく》に打ち込ん《うちこん》でいる人《ひと》である。まあ、珍しい《めずらしい》。文芸誌《ぶんげいし》の対談《たいだん》とかには殆ど《ほとんど》出《で》ませんし、かといって講演《こうえん》をするわけでもなく、黙々《もくもく》と作品《さくひん》を書く《かく》わけです。まあ、よろしい事《こと》です。だって、作家《さっか》なんだもん。小説家《しょうせつか》は小説《しょうせつ》書い《かい》てナンボだろう。
まあ、そんなストイック《すといっく》な小説家《しょうせつか》であり、極めて《きわめて》真面目《まじめ》に仕事《しごと》に取り組ん《とりくん》でいる人《ひと》であるが、エッセー《えっせー》になるとふざけているのか真面目《まじめ》なのかよく判ら《わから》ないスタイル《すたいる》に変貌《へんぼう》する。まあ、これも一種《いっしゅ》の芸《げい》なんでしょう。サービス《さーびす》精神《せいしん》旺盛《おうせい》です。素晴らしい《すばらしい》。
私《わたし》にとってエッセー集《えっせーしゅう》というのは「難しい《むずかしい》文学《ぶんがく》作品《さくひん》を読ん《よん》でる間《あいだ》、インターバル《いんたーばる》として軽く《かるく》流し《ながし》読む《よむ》もの」であると思っ《おもっ》ている。気楽《きらく》に読めれ《よめれ》ばいいのだ。大上段《だいじょうだん》に真面目《まじめ》な物言い《ものいい》ばかりされても……それはちょっとしんどい(笑)《わらい》。エッセー《えっせー》はこれぐらいで丁度《ちょうど》よろしい。
隠れ《かくれ》た(!?)超《ちょう》名作《めいさく》です。
村上《むらかみ》さんの文体《ぶんたい》って、
すっごくエッセイ《えっせい》に向い《むい》ているんだな、
それがまず初め《はじめ》に思っ《おもっ》たこと。
文章《ぶんしょう》の流れ《ながれ》や話《はなし》の展開《てんかい》は、さらっとしてて後味《あとあじ》がいいし、
笑え《わらえ》る。
私《わたし》、本《ほん》とか漫画《まんが》読み《よみ》ながら笑う《わらう》タイプ《たいぷ》の人間《にんげん》じゃないんですけどね。
本当《ほんとう》に笑える《わらえる》んです。
ミステリアス《みすてりあす》で神経質《しんけいしつ》、みたいな「作家《さっか》」に対《たい》するイメージ《いめーじ》なんて、
村上《むらかみ》春樹《はるき》という男《おとこ》にはまったく当てはまら《あてはまら》ないですね。
学生《がくせい》時代《じだい》の村上《むらかみ》さんが、同じ《おなじ》クラス《くらす》の隣の席《となりのせき》だったら、
仲良し《なかよし》になれそうです。
モテモテ《もてもて》とまではいかないけど、
クラス《くらす》の女子《じょし》ひとりふたりには惚れ《ほれ》られてそうなタイプ《たいぷ》???
勝手《かって》な想像《そうぞう》ですいません(笑)《わらい》。
でも、このエッセイ《えっせい》読み《よみ》ながら村上《むらかみ》春樹《はるき》像《ぞう》を思い描く《おもいえがく》と、
そんな感じ《かんじ》です。
魅力《みりょく》のある人《あるひと》です。
男性《だんせい》の小説家《しょうせつか》のエッセイ《えっせい》ってはじめて読ん《よん》だけど、
この随筆《ずいひつ》は、小説《しょうせつ》とはまた違う《ちがう》、
でも立派《りっぱ》な「文学《ぶんがく》作品《さくひん》」っていいたくなる位《くらい》の傑作《けっさく》です。
安西《あんざい》水丸《みずまる》さんのイラスト《いらすと》も、
文章《ぶんしょう》の面白《おもしろ》さを三《3》、四《4》割り増し《わりまし》にしてくれてます。

